「異端」の金融政策が幕を閉じる――。安倍晋三政権期の経済政策「アベノミクス」の一翼を担う形で導入された異次元の金融緩和策からの脱却を日銀が決めた。かつての常識を破る大胆さから「壮大な社会実験」とも呼ばれ、11年間に及んだ異次元緩和。日本経済に何をもたらしたのか。
「ようやくここまで来た」。ある日銀幹部は感慨深げに語った。異次元緩和という長いトンネルの出口が見えたからだ。
「白から黒へ」の体制転換
始まりは2013年4月までさかのぼる。
「2%」「2年」「2倍」。黒田東彦氏は総裁に就任すると、さっそく長期国債などの大量購入を通じ、従来の2倍の資金を供給する異次元緩和を決定。直後の記者会見で示したのが、赤字で「2」を強調したフリップだった。
日銀はモノやサービスの価格を安定的に前年比2%上昇させる目標を掲げる。それまでの日銀が「金融緩和だけでは到底実現できない」と考えていた目標を、わずか2年で成し遂げるという強烈なメッセージが込められていた。
当時の日本経済は円高の影響で企業業績は伸び悩み、賃金も物価も低迷するデフレ状態に陥っていた。高齢化と社会保障負担、中国の台頭、イノベーションや成長を阻む規制や企業経営など多くの要因が考えられたが、やり玉にあがったのが日銀の金融政策だった。
前任の白川方明(まさあき)氏が小出しの金融緩和を続けたのとは対照的に、大胆さと分かりやすさを前面に出した黒田氏。新旧総裁の名字から「『白』から『黒』へのレジームチェンジ(体制転換)」とみなされ、世間に政策転換を印象づけた。
スタートは世界経済の回復も重なり、円高は徐々に解消。異次元緩和前に1ドル=90円台前半だった円相場は1カ月ほどで100円台に下落した。緩和マネーは1万2000円程度だった日経平均株価を15年4月には2万円台に押し上げた。
「2年2%」実現せず マイナス金利へ
一方、肝心の物価は思うように上がらなかった。14年4月に消費税率が5%から8%に引き上げられた影響を除くと、消費者物価指数の上昇率は14年8月までの10カ月間は1%を上回ったものの、2%には届かずじまい。その後は消費税増税後の買い控えで0%台を中心に推移し、マイナス圏内に落ち込むことも珍しくなかった。
異次元緩和さえ実施すれば「2年で2%」が実現するはずが、現実は違っていた。日銀は長期戦に切り替え、緩和の形を変貌させていく。
焦りを募らせた日銀は16年1月にマイナス金利の導入を決定。同年9月には従来の短期金利に加え、長期金利も操作する「長短金利操作」(イールドカーブ・コントロール、YCC)を開始した。
企業への融資を積極化させる狙いだったが、…
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2024-03-20 11:55:16Z
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