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豊田章男社長を取材し続けた筆者が思う、退任の本当の理由 - ITmedia ビジネスオンライン

 既にニュースが駆け巡っているので、今さらご存じないという人もいないだろうが、トヨタ自動車の豊田章男社長が、退任を発表した。後任はレクサスカンパニーとGRカンパニーのプレジデントを務める佐藤恒治氏である。

左から豊田章男社長、佐藤恒治執行役員、内山田竹志会長(出典:トヨタ自動車、撮影:三橋仁明/N-RAK PHOTO AGENCY)

 さて、他のニュースが追いかけているこまごまとしたファクトを書いても、仕方がないので、ここ数年豊田社長を追いかけてきた筆者から見たさまざまなこぼれ話を書いていこう。そういうエピソードの向こう側に、退任までのインサイドストーリーが見えてきたらいいなあと。

 こういう機会なので、ちょっと書き手としての抑制を外して、いろいろと本音で書いてしまおうと思っている。筆者は普段からトヨタ寄りだの何だの言われることは多いが、実はこれでも本人は、トヨタ寄りになりすぎないようにセーブしているつもりなのだ。今回の原稿では、公平性よりも、エモーションが伝わることを優先したい。それは退任ニュースゆえの話である。

表向きは内山田竹志会長の退任がトリガーだが……

4月1日付予定の人事(出典:トヨタ自動車)

 公式には内山田竹志会長の退任をトリガーとして決まったことと発表された。それはそれでうそではないだろうが、豊田社長はことあるごとに、「こんなに長く社長をやるとは思わなかった」と繰り返してきた。14年前、着任早々に北米の公聴会に向かう機上では、引責辞任やむなしの思いの中で、1年にも満たない短い社長任期を覚悟したと述懐している。これは複数回聞いている話でもある。

 豊田章男という人は一部から大きな誤解を受けているが、決して権力欲の強い人ではない。社長の椅子にだって特別しがみつきたいとは思っていないし、一部でしつこく蒸し返される経団連会長への執着も、実態としては全く逆である。むしろ本人の美意識としては、世俗的な名誉職である経団連会長など、ごめん被りたいと強く思っているのだ。

 だからこそ豊田章男社長時代のトヨタは、可能な限り政治と距離を置いてきたし、本当に必要になるまで、経団連に自動車関連の部会を設けようとはしなかった。実は経団連側は、長年にわたりトヨタの積極的参加をずっと熱望してラブコールを送り続けてきたが、むしろトヨタはそれから逃げ回ってきた。

政治を当てにしていないトヨタ

 それはそうだろう。経団連にしてみれば日本最大の企業であるトヨタは味方にしたいに決まっている。ところが当のトヨタは、政治を当てにしていない。むしろ放っておいてほしい。相互不干渉こそが理想だったのだ。その姿勢を変えて、2022年にモビリティ委員会を設置したのは、急激に状況が変わったからである。

 菅政権の発足によって、カーボンニュートラルが最優先政策として定められ、理想主義に特化して実現がほぼ不可能と思われるルールがどんどん策定されようとした。隙あらば「内燃機関の完全撤廃」を掲げようとする勢力が暗躍し始めた。結果的にはハイブリッドを除外するという形で落着しているが、これをさらに押し込もうとする勢力が今も実在している。

 突如として政治が自動車産業に干渉を始めたのである。その力学的変化の結果、政治と対話をする産業側のカウンターパートがどうしても必要になった。それには既存の、業界内調整団体である日本自動車工業会では格が合わない。あるいは機能が合わない。政治に面と向かって、「NO!」と言える組織を作らずにいたら何がどう決まっていくか分からないからである。

 結果的に、豊田社長が担ぎ出されて、経団連モビリティ委員会の委員長をやむなく拝命しかかったタイミングで、心無いメディアが、「経団連会長への野望のルート」などと書き立てた。豊田社長にもとよりそんな気はない。だから住友化学の会長であり、経団連全体の会長でもある十倉雅和氏に委員長をお願いし、デンソーの社長の有馬浩二氏と連盟で3人連座の座組を作ったのである。何なら本人は外れたかったかもしれないが、現実的なラインはそうやって決まった。

豊田社長の原動力となった2つのポイント

22年12月に行われたタイトヨタ設立60周年記念式典での豊田章男社長(出典:トヨタ自動車)

 権力欲がからきしないとすれば、足掛け14年に及ぶ社長生活の中で、豊田社長のモチベーションはどこにあったのだろうか? 筆者はそのポイントは2つあると思っている。1つは創業以来のトヨタ自動車を担って来た歴代創業家の人々の苦労に報いたいという思いである。

 豊田社長自身の言葉によれば、「先祖の方々は大変な苦労をしつつ、あまり報いられることなく世を去っていった。彼らの労に報い、想いを引き継いで、彼らが不本意ながらやりきれなかったことをきちんと完成させたい」。それは創業家の末裔としての責任感だろう。

 そしてもう1つは、豊田綱領にもある「産業報国」である。ちょっとトヨタのWebサイトから抜き出してみよう

一、上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を挙ぐべし

一、研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし

一、華美を戒め、質実剛健たるべし

一、温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし

一、神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし

「豊田綱領」とは、豊田佐吉の考え方を、豊田利三郎、豊田喜一郎が中心となって整理し、成文化したもの。

佐吉の5回目の命日にあたる1935年(昭和10年)10月30日に発表された。

トヨタグループ各社に受け継がれ、全従業員の行動指針としての役割を果たしている。

 これはいくら言っても信じない人は信じないのだが、取材のたびごとに、筆者は感じ取ってきた。豊田社長が常に経営判断の大原則に置いているのは「日本経済を良くするにはどうしたらいいか?」であり、世界の人々をモビリティの力で幸せにすることである。「誰か」のためであって、「自分」のためではない。優等生発言に聞こえる「幸せの量産」が指し示しているのはつまるところ産業報国なのだ。

 もちろん利益は上げる。トヨタが損をすれば日本が繁栄するならばともかく、現実はトヨタが儲けることは日本の経済成長にとって重要だし、利益を出し、サステイナブルであることは、志を実現するための基礎である。儲けるのは当たり前。それは目標でも目的でもなんでもない。呼吸をするように、できて当たり前のことであり、利益の先にある「何のために」こそが企業の価値である。豊田章男が率いるトヨタにとっては、それが産業報国であり、幸せの量産だ。

 いささか以上に、口幅ったいが、筆者はそういう意味で同志だと思っている。それこそが今回ここに肩入れを宣言して記事を書く理由である。

豊田社長の言葉に感じた本気の想い

 以前、筆者は動画の中で「ボクは日本経済の応援団であるつもりです。だから、多くの場面で日本経済と利害の一致するトヨタを応援します。けれどもそれはあくまでも日本の応援団でありたいからであって、トヨタが日本経済に仇なすのであれば、その時は徹底的に批判するつもりです」と言った。

 次の取材で顔を合わせた時、豊田社長はその動画を見ていて、筆者に言った。「いつまでも日本の応援団でいてください。トヨタの応援団である必要はありません」。もちろん、それが絶対に計算の上での発言ではないという証拠はない。けれども、そういう言葉を発するとき、至誠がそこにあるかないかは、たいてい分かるのではないか? ましてやさまざまな状況で、何度も重ねて経営上の判断を聞けば、意思決定の中核にあるものが何かは分かるはずである。筆者はそこにどこまでも本気である想いを感じた。

 取材する側の一般論として、どこのメーカーも、そう簡単にトップとは話をさせてはくれない。ヘンに切り取られて書かれれば、株価に影響を与えかねないし、どんな問題に発展するか分からないからだ。筆者が取材を通じて失礼ながら豊田社長を値踏みしていた様に、トヨタもまた筆者の記事を検分しつつ、「池田直渡」という書き手を値踏みしていたはずである。

 記事の値踏みとは何か? たぶんそこも誤解されているだろう。おべっかや、お追従を書き並べたって意味はない。そういう態度にむしろ彼らは厳しい。彼らも完璧ではないから、ダメな製品やサービスをリリースすることはある。彼ら自身、そしてその失敗に内心気づいてもいる。その時、きっちり批判できる書き手かどうかを彼らは見ている。痛いところを指摘できない、つまり見る目のない相手に用はないのだ。

 褒めてくれるだけの相手は要らない。むしろ無条件にただ褒めてくれるなら放置しておけばいいことだ。褒めるにしろ批判するにしろ、明確な基準を持ってフラットに書こうとしているかこそが厳しく見られている。

 そりゃ当たり前だろう、ヨイショすれば気に入られるのならそんな簡単な話はない。ついでに言えば、金をもらうだ何だという話も世間知らずだと心底思う。そんなレベルの低いヨイショ記事に、コンプライアンス上のリスクを賭けてまで、いちいち金を払う上場企業なんてあるわけがない。

 それは、紙媒体が正式なタイアップ記事を作る過程を、一度でも間近で見たことがあれば自ずと分かる話で、少し大袈裟に言えば、裁量を持つ階層の人に一文字一文字確認を求める作業であり、当然その裁量権者に届くまでに何人もの現場担当者のガードをくぐり抜ける。当然、やりとりや調整だけでも膨大な手間暇がかかるし、とてもではないが個人でできる様な作業ではない。当然金もかかる。そんなことでむやみに金をばら撒(ま)いていたらトヨタはああいう決算にならない

 で、最初のうち、必死に足で、目で、耳で集めていた情報は、値踏みの結果、むしろ黙っていても入ってくるようになった。それはもう浴びせ倒しと言っていいほど、日々情報が飛んでくる。むしろ情報との戦いである。流れ込み続ける膨大な情報をベースに、常に値踏みされても大丈夫なように、明確な基準でフラットに書き続けなくてはならない。

 そういう積み重ねの結果として、豊田社長だけでなく多くのトヨタのキーパーソンが、いろいろなことを教えてくれるようになった。彼らはフラットな記事を心底欲しているから、彼らから見てそう見える相手にどんどん情報を投げるのだ。

今回の人事の本質は

 さて、長々と説明してきたのは、今回の人事の本質はどこにあるのか、筆者の主観が入ることは避けられないにしても、それを明らかにしたいからだ。それらの情報はどうやって手元に来たのかを書いておかなければ、読み手が信じる、信じないかの判断ができない。ここまでの話に信ぴょう性を感じるかどうかであなたがそれを決めるのだ。

 豊田社長の体制は、そもそもがアゲインストからスタートした。役員時代も副社長時代も、反創業家勢力はいたし、そういう勢力に豊田章男氏は散々足を引っ張られてきた。1人だけ情報を伏せられて、公式発表時に知らないのは自分1人ということすら頻発していたらしい。

 だからそういう中で、豊田社長はある種の“親衛隊”を組織した。豊田氏がトヨタに入社した時の上司であって、豊田氏に対するお目付け役と防波堤を兼務する、現“番頭”の小林耕士氏、そして直属の部下として実務を担ってきた現エグゼクティブフェローの友山茂樹氏である。日々裏切りを警戒するしかない中で成果を挙げるには直属部隊を組織するしか方法がなかった。

 時期的には多少前後するが、改革を進めようとした時、当時のトヨタの評価ドライバーのトップであった成瀬弘氏から、手厳しい批判を受けた。「クルマの分からないヤツに口出しされたくない」。エンジニアではない豊田氏は、経歴上、当然メカニズムに詳しくない。そこで豊田氏は成瀬氏にクリンチしにいく。運転を教えてください。以後成瀬氏は豊田氏の運転の師匠になって、そこからレーシングドライバー「モリゾウ(MORIZO)」への道につながっていくのである。

22年12月タイのチャーン・インターナショナル・サーキットにて行われた「IDEMITSU 1500 SUPER ENDURANCE 2022」にて(筆者撮影)

 ところで、なぜ彼は「モリゾウ」と名乗るのか不思議に思ったことはないだろうか。それもまた嫌がらせの結果である。成瀬氏を師に練習に励み、いざニュルブルクリンクの24時間耐久レースに出場しようとした時、自らの本名である豊田の名前を「トヨタブランドに傷が付く可能性がある」から使うなというお達しが出たのである。

 自分の本名が使えないなど、立派な人権侵害案件であり理不尽としか言いようがないが、今とは世相も違い、仕方がなかった。以後レースに出る時はモリゾウを名乗り、豊田章男の名前は使っていない。押しも押されもせぬ、日本経済界の重鎮となった今、豊田氏にそんなことを言える人はもうどこにもいない。

 そういう今となってもモリゾウの名を使い続けることには、過去の悲しい記憶が根底にあると筆者は思っている。一方で、今や世界的にもまれな、クルマ大好きな走る社長への親しみを込めた愛称として、モリゾウの名前は新しいコミニケーションも生み出している。その表と裏の両方を理解しないと、本当の意味は分からない。

 もう1つ「GAZOO(ガズー)」のほうも類似のストーリーがある。これは元々営業課長時代の豊田章男氏が、中古車の流通にトヨタ生産方式を取り入れるために発案した、インターネットを利用した高効率中古車流通のためのツールである。普通であれば「トヨタUカーシステム」とでも名付けられるはずのものだったが、ここでもまたトヨタの名前を禁じられた。結果として「画像を使うのでGAZOO」ということになった。これを二人三脚で立ち上げたのが前述の友山フェローである。

 GAZOOは、モリゾウがトヨタ車の走りを改革していくこと、そしてレース活動を行っていく際の母体となった。筆者の解釈としては、準えるなら、トヨタ自動車内部の私兵組織である。そういう性格の組織が、後に「TOYOTA GAZOO Racing」として、F1までやったトヨタレーシングを吸収していく。たぶんそこには当時の怨念のようなものがこもっているのだと筆者は考えている。

創業家プリンス、豊田章男氏の14年

 さて、これらのエピソードが何を示すのかと言えば、ちまたにうわさされる、「豊田章男は創業家のボンボンで、銀のスプーンをくわえて歩んで来た世間知らず」というイメージと現実の乖離(かいり)である。端的な話、豊田章男という人はトヨタに自らの意思で入り、そこで創業家のプリンスであることを理由とした壮絶ないじめを生き抜いてきた。そういう人である。

21年3月期 第2四半期決算説明会での豊田章男社長(出典:トヨタ自動車)

 今回、豊田章男氏は、自身が社長に就任した際を振り返り、「過去に相当時間を費やした」と説明している。仕事ができるようになる前に、まずは原状回復が必要だったということである。状況を整理し、改善することは経営の大原則であり、今でも変わらないが、それをしてゼロに戻すリセット作業に膨大な手間暇を費やしてきた。

 「畑に例えますと、種を蒔いたばかりの畑もあるし、収穫前の畑もあるし、これから種を蒔ける畑もある」。そういう仕事に専念できる状態に戻したことでバトンタッチの好機だと判断したというのである。

 もちろん謙遜もあろう。読者の皆さんもよくよくご存じの通り、豊田章男氏の14年が、リセットだけの14年だったなどと言うことはない。もっといいクルマをあらたに定義し、クルマ好きの琴線を揺さぶる多くのクルマを世に問うてきた。もちろんさまざまな問題と闘い、未曾有(みぞう)の危機、例えば、リーマンショックの後始末から始まり、米国の公聴会、東日本大震災、チャイナショック、円高、デフレ、コロナ危機、ウクライナ侵攻とロシア撤退、サプライチェーンの棄損、半導体危機、円安と、多くの困難を乗り越えながら、業績も躍進させてきた。

 おそらくは後の世に、トヨタ自動車中興の祖と言われる名経営者でもある。たぶんだが、経営者に最も必要な素養は「明るさ」である。おそらくそれを豊田章男という人は本能的に知っている。経営は迫り来る危機に対応し、失敗すればもう一度どうすべきかを考え直して、何度でも何度でも立て直し続けていく仕事である。

 人として前向きに考えられる明るさなしにできることではない。だから人前での彼は常に明るいし、華がある。しかしながら、誰にもその裏側はある。嫌が応でも目立つ立場ゆえ、ネット上での誹謗中傷はすさまじい。表舞台で明るく振る舞うが故に、1人でそのネットの海に立ち向かう時、孤独は深い。

コロナ禍で利益死守を宣言したトヨタ、豊田社長退任の本当の理由

 特に世のため人のためと、自らを犠牲にして粉骨砕身して、マイナス評価を受けた時は堪らない。例えばコロナ禍を迎えた20年、5月の本決算発表で、ほとんどの会社が見通し発表を控えた。それはそうだろう。そんなタイミングで見通しなどうっかり発表すれば事故の元にしかならない。しかしその時、たった1社、トヨタだけが5000億円の利益を死守すると昂然と発表した。

20年3月期 決算説明会での豊田章男社長(出典:トヨタ自動車)

 わが国のトップ企業、トヨタが、先行きが全く読めないと発表したら、サプライヤーをはじめ、多くの企業が事業計画を立てられない。各社の業績予想は厳しくなり、その予想によって未来はさらに暗くなるネガティブスパイラルに陥る。

 だから、まさに日本経済のためにトヨタは、リスクを取ってまで、黒字死守を決算でアナウンスし、その思いを説明した。勢いだけではできない。もし立てた目標を下回れば、それはさらに未来予測を暗くする。だから、豊田社長の号令一下、トヨタの多くのスタッフが必死に数値を検討し、必達のラインを、それも可能な限り高く出して行ったのである。それは「われわれも頑張る。だから日本中の働くみなさん、希望を忘れないでください」というメッセージだった。

 翌朝、日本経済新聞の一面を飾ったのは「トヨタの今期営業利益、8割減の5000億円 新型コロナで」という大見出しである。恐怖を煽って部数を伸ばす常套手段である。お前らの記事が売れれば、それでいいのか。日本経済に対する想いはないのかと。儲けるのがいけないなどと言うつもりはない。金を儲けた先に「何のために」がない。トヨタの爪の垢を煎じて飲むべしと、筆者は、はらわたが煮えくり返る思いだった。

 膨大な準備をして、日本経済のために不退転の覚悟で絶対死守ラインを発表した豊田章男氏がどれだけ落胆したことか。そういうくだらない揚げ足取りに、人は傷つくものである。このようなボディブローと闘いながら、明るく振る舞うエネルギーがたぶんそろそろ限界に達した。筆者個人としては、退任の本当の理由はそこにあるのだと思っている。

筆者プロフィール:池田直渡(いけだなおと)

 1965年神奈川県生まれ。1988年企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)入社。取次営業、自動車雑誌(カー・マガジン、オートメンテナンス、オートカー・ジャパン)の編集、イベント事業などを担当。2006年に退社後スパイス コミュニケーションズでビジネスニュースサイト「PRONWEB Watch」編集長に就任。2008年に退社。

 以後、編集プロダクション、グラニテを設立し、クルマのメカニズムと開発思想や社会情勢の結びつきに着目して執筆活動を行う他、YouTubeチャンネル「全部クルマのハナシ」を運営。コメント欄やSNSなどで見かけた気に入った質問には、noteで回答も行っている。


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https://news.google.com/__i/rss/rd/articles/CBMiQGh0dHBzOi8vd3d3Lml0bWVkaWEuY28uanAvYnVzaW5lc3MvYXJ0aWNsZXMvMjMwMS8zMC9uZXdzMDY0Lmh0bWzSAQA?oc=5

2023-01-29 23:00:00Z
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