三菱UFJフィナンシャル・グループは、傘下の三菱UFJ銀行の頭取に同行の取締役常務執行役員の半沢淳一氏(55)が昇格する人事を固めた。24日午後にも正式発表する見通しだ。上席である副頭取と専務13人を追い越す異例の人事となる。半沢氏自身は銀行中枢の経営企画部門が長く、王道を歩んできた頭取の本命候補だった。
財務省出向経験も
半沢氏は1988年(昭63年)に東京大学経済学部を卒業後し、三菱銀行(現三菱UFJ銀行)に入行した。配属先は王子支店(東京・北)。入行直後からエリート街道を歩むことになる。入行4年目に財務省の国際金融局に出向。政府開発援助(ODA)を担当し、若くして官僚や政治家との折衝の対応力を身につけた。
以降はほぼ一貫して企画畑に身を置いた。銀行全体の事業を見渡し、成長戦略の絵を描く銀行の中枢部門だ。かつての部下は「まずは人の話を聞き問題解決に向けた最短経路を示してくれる」と話す。全体像をつかんだ上でバランスのとれた判断を下す、周囲の人間を動かすのがうまい、といったのが周囲の一致した評価だ。
2010年に千住中央支社(東京・足立)の支社長に就き、久しぶりの営業現場に復帰する。下町の個性的な中小企業オーナーを相手に営業の感覚を取り戻しつつあった矢先、11年に本部に呼び戻された。任されたのは全国銀行協会で会長行としての実務を取り仕切る「会長行室長」。もともと会長行を務めるはずだったみずほ銀行で大規模なシステム障害が発生。三菱東京UFJ銀行(現三菱UFJ銀行)が代役を任されたことによる緊急登板だった。
決断力に定評
「ピンチの時の半沢」。ある幹部は半沢氏の経歴をこう指摘する。現在務める最高法令順守責任者(CCO)の役職も、規制が強まる海外でのコンプライアンス体制を立て直すため19年に急きょ回ってきた。18年に就いた名古屋の営業責任者をまたしても一年で代わることとなった。
見た目も中身も温厚な半沢氏だが、決断力には定評がある。17年にグループの信託銀行から法人融資業務を銀行に移管することを決めた際には、持ち株会社の経営企画部長として実務を仕切った。信託のプライドともいえる同業務を銀行に一本化するという緊張感のある交渉を両者の間に立ってまとめた。
高校時代はボート部
出身高校は埼玉県立浦和高校。強豪のボート部に所属した。学校から遠く離れた練習場を行き来する毎日で、当時の同級生は「筋肉隆々の体つきだった」と振り返る。性格は「いつも笑顔を絶やさない聞き役で、自ら前に出て仕切るタイプではなかった」という。
三菱UFJは若手を登用しやすくする人事制度改革に取り組んでいる。年功を重んじる銀行では13人抜きは異例だが、トップ人事で実力本位を示した形だ。半沢頭取は国内リテール(個人向け事業)の不振、拡大を続けた海外部門の再構築など山積する課題に直面する。
(上田志晃)
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2020-12-23 20:00:00Z
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